アルバイトのミュージシャンが、不気味なアパートでの窓拭きの仕事を終え、チャリティ・イベントでの演奏に向かう。富裕層が集まる中、料理が底をつきかけるが、幸いなことに、その場にはホームレスや経済活動とは無縁の人々がおり、彼らがその穴埋めをすることになる。
8月22日(土) 12:45~ @JMSアステールプラザ大ホール
世界の短編アニメーション界に大きな貢献をした故人たちの作品を集めたプログラムです。上映にあわせて、アーティスティック・ディレクターの山村浩二による解説も行います。
キュレーター:山村浩二
登壇:山村浩二
アルバイトのミュージシャンが、不気味なアパートでの窓拭きの仕事を終え、チャリティ・イベントでの演奏に向かう。富裕層が集まる中、料理が底をつきかけるが、幸いなことに、その場にはホームレスや経済活動とは無縁の人々がおり、彼らがその穴埋めをすることになる。
医学的研究の発表という設定で、様々な「椅子」の性生活が淡々と綴られていく。
(1948–2025)、イギリスのアニメーター。チェシャー州ウォルアジー生まれ。絵画と映画を学び、1980年代後半に本格的にアニメーションに転向。骸骨のような黒インクのキャラクターと、簡素で不条理な背景を特徴とする独自のスタイルを確立。代表作に『カウボーイズ』『十戒』三部作『イントレランス』など。人間の愚かさやイデオロギー、暴力を辛辣なユーモアで描く。60本以上の作品を手がけ、国際的評価を獲得。76歳で逝去まで創作活動を継続。唯一無二で挑発的な遺産を残す。
武満 徹が作曲した声の構成音楽、「クラップ・ヴォーカリズムCLAP VOCALISM」のテープを聞いて、
それでアニメーション作ったらおもしろいんじゃないかと思ったんだ。
最初は男が女をやっつける話だったんだけど、逆にした方がおもしろいと思って、
ああいう形になったんだ。
緑色のさまざまな姿をした寄生虫たちが、人間をむさぼり食う一夜。絶えることのない残酷な食物連鎖と、生と死の永遠の反復――。久里洋二が描く、グロテスクで奇妙な寓話である。 冨田勲によるシンセサイザー音楽が、静かに、そして不気味に響き渡る。 アニメーション画の完成後に、冨田勲さんへ音楽制作を依頼した。 シンセサイザーによる富田さんの音楽により、当時としては最先端の曲になった、作品に独特の雰囲気を与えている。
1928年、福井県鯖江市に生まれる。
1950年、漫画家になるため上京。横山泰三に師事。
共同通信社の画信部に嘱託として勤め時代風刺の一コマ漫画を描く。
文化学院美術科、アテネフランセで学ぶ。
1958年、久里実験漫画工房設立。自費出版した『久里洋二漫画集』で第4回文芸春秋漫画賞受賞 。
1960年、アニメーションの制作に乗り出す。真鍋博、柳原良平と共に「アニメーション三人の会」を結成し、「草月アートセンター」でアニメーション映画祭を主宰。様々な芸術家と交流し実験的なアニメーションを発表した。同映画祭にて手塚治虫、和田誠、宇野亜喜良、横尾忠則等にアニメーション制作を推進。日本のアニメーション黎明期の立役者として礎を築いた。代表作『人間動物園』は世界中の映画祭で11冠受賞。各国の映画祭で審査員を務め、展覧会・上映会が開催された。
テレビ創世記より、深夜番組「11PM」で毎週月曜日出演とアニメーションが放映され、NHK「みんなのうた」「ひょっこりひょうたん島OP映像」での映像制作や「24時間テレビ」のロゴマークをデザインした。
1970年、大阪万国博覧会にて3つのパビリオンで作品を発表。
1980年代頃から本格的に画業に専念。今までにニューヨーク近代美術館、パリ市立近代美術館、山梨県立美術館、池田20世紀美術館、ベルギー・ゲント市、ドイツ・シュトッゥトガルト市ほかで展覧会が開催されている。スイスの美術雑誌「グラフィス」の表紙デザインを日本人で初めて担当。「かまぼこ板絵国際コンクール小さな美術展」の実行委員長に就任。「リサイクルアート展」を渋谷PARCO、渋谷西武デパートで開催。「鯖江市まなべの館」の名誉館長に就任。同館に「久里洋二の部屋」設立。
1982年、紺綬褒章。1992年、紫綬褒章。1996年、紺綬褒章(2度目)。2011年、旭日小綬章を受賞。
2016年、88才で描きおろした500ページの漫画集『クレージーマンガ』が日本漫画家協会賞・カートゥーン部門大賞を受賞。同年氏名表記をカタカナに変更し、以降クリヨウジとして活動。
2018年、「広島国際アニメーションフェスティバル」の国際名誉会長に就任。音楽とアニメーションの実験的イベント「チャネリング・ウィズ・ミスター・クリヨウジ」開催。福井県金津創作の森美術館で大規模展覧会「クリヨウジの大冒険」開催。
2019年、六本木21_21DESIGN SIGHTの企画展「ユーモア展」に参加、同時に個展「クレージーハウス」開催。
2023年、現在まで毎年個展開催。現役での作品制作とともにアーカイブをはじめている。
豊かなユーモアと魅力にあふれた寓話である『砂の城』は、サンドマンと、彼が砂から形作った生き物たちの物語である。 彼らはサンドマンの指揮のもとで城を築き、新たな住処の完成を祝福するが、そこに招かれざる客が現れて歓談を遮ってしまう。やがて風が吹き、城は跡形もなく崩れ去っていく。映画監督は、この結末に対して多様な解釈の余地を残しており、セリフのない音響のみの映画となっている。
ある少女をめぐる物語。彼女の子供時代は、外国で平和維持活動に従事したのちにPTSDを患うこととなった親の存在によって大きな影響を受けている。
1940年オランダ生まれ。2025年に逝去。ストップモーション・アニメーションの巨匠。ノーマン・マクラレンの映画作品に感銘を受け、1965年に25歳でアムステルダムからモントリオールへと移住し、初めてカナダの地を踏んだ。 カナダ国立映画制作庁(NFB)で20本もの名作映画を監督し、1977年の短編作品『砂の城(The Sand Castle)』ではアカデミー短編アニメーション賞を受賞した。 私生活では子煩悩な父親、そして祖父であり、広く愛された子ども向けシリーズ『ルドヴィックの四季(Four Seasons in the Life of Ludovic)』の生みの親でもあった。 驚くほど多様な技法を実験的に取り入れながら、イヌイットの伝統的な物語や人道的なテーマ、そして自身の鮮やかな想像力からインスピレーションを得て、数々の幻想的な世界を創り出した。
本作は田名網のお気に入りの曜日であった金曜の朝を、軽やかな音楽とともに表現したアニメーションである。顔を洗い、メガネを拭き、朝食をとり、シャワーを浴びるという習慣的な行為が続く。そのはざまに、想像の中にあるさまざまなイメージが、実験映画を思わせるフリッカー効果とともに挿入される。幼少期に幻灯機に映して遊んだスズメ、戦時中に祖父が飼っていたランチュウ、白人女性の裸体など、これらのモチーフは脈絡なくつなぎ合わされ、朝の意識が幻想と日常とを行きつ戻りつする様子が描かれている。盟友の篠原有司男から届いた手紙と写真も登場し、田名網の実生活が垣間見える作品である。
本作は、「この世とあの世を渡すクロスポイントとしての橋」についての田名網の深い考察を映像化した作品である。田名網にとって「俗と聖」「生と死」の境界であると同時に、出会いの場でもあるという赤い橋は、近年のイマジネーションの大きな原動力となってきた。画面には、擬人化された爆弾の光である奇怪な生き物や、米軍機を追うサーチライトのビーム光、戦争で傷ついた人々を投影した骸骨のモンスターなど、幼少期の戦争体験を連想させるモチーフが幾多も散りばめられている。また、脳裏に刻まれた原風景である祖父の金魚や、44歳で大病を患った際に見つめた幻覚に由来する生命力に満ちた松など、死生観に直結するイメージが次々と現れる。半世紀にわたり日課として描き続けられているドローイングを原点とする独自のキャラクターたちが、橋の下に広がる底知れぬ謎と神秘の異空間へと観客を誘う。
1936年、東京生まれ。
2024年逝去。武蔵野美術大学を卒業 。アートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家、アーティストとして、職種の境界を積極的に横断して活動を続け、現代の可変的なアーティスト像のロールモデルとして高い評価を得ている 。「編集」というデザインの方法論を用いながら、ファインアートの枠に捉われない創作活動を続け、コラージュ、プリント、ドローイング、アニメーション、実験映画、ペインティング、立体作品、インスタレーションまで幅広く作品を発表 。拡大を続ける「POP」 の文脈における日本の先駆者としても、国際的に広く認識されている 。